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伊砂利彦−京都新聞 美と歩む (下)

 
京都新聞 2009年(平成21年)8月8日 土曜日
 

 型絵染作家の伊砂利彦(1924年〜)が、開校してまもない沖縄県立芸術大の教授に就任するのは89年のことだ。 沖縄には、紅型(びんがた)という伝統の型染めがあるが、学生の創造性を養うために、自然や音からさまざまな模様を生み出してきた伊砂の経験が求められたようだ。

 6年間の在任中、伊砂は沖縄の海や太陽をモチーフにいくつかの作品を制作しているが、一度だけ自らおきてを破り、現地の既存の模様を使って制作したことがある。沖縄戦犠牲者の鎮魂のために制作した二曲屏風(びょうぶ)作品だ。用いたのはいずれも古紅型の模様だが、沖縄戦を表現するためには避けられなかったという。 「ちょうど沖縄の観光化が進んでいた時期で、大切なものが風化していくように僕には見えた。で、京都との間を飛行機で行き来しながら、足元の海に沖縄戦の多くの犠牲者が沈んでいることを考え、その魂をまず鎮めたいと思ったんです。沖縄の過去から未来への時間を表すには、古紅型の模様を使うほかなかった」

 95年に退任して京都に戻った伊砂は、これまでの創作から一転し、幾何学的抽象ともいえる「無機的シリーズ」を始める。伊砂によれば、仕事場を訪ねてきた学生の一人から「なぜ自然を対象にするのか」と間われたことが刺激となり、始まったシリーズという。以来、自然に束縛されることなく、宝石のカットを分解して再構築した型紙や、切箔に似た点描の型紙を用いて、理知的な構成の作品を生み出していく。

 この「燦(さん)」は、その一つ。 5年前の作品だが「自分の気持ちの中では最も新しい」と語る大作の二曲屏風だ。 ダイヤカットの型紙を組み合わせて和紙に着色しており、染料ではなく、顔料で作られた彩墨を使っている。 「赤色には、赤、紅、朱などいろいろあるが、僕が表したかったのは、例えば、卓球の福原愛ちゃんが試合の時に見せる頬(ほう)の色や、体から発する熱気のような色。 命の輝きですね。こういう赤は、発色の強い顔料でないとなかなか出ない」

 染色作品に顔料が使われることは、今でこそ珍しくないが、伊砂は、ほぽ半世紀前から紙の作品には必ず彩墨を用いてきた。染料のように退色せず、しかも繊維の間に入りこむ微粒子の顔料は、自らの美意識とうまく響き合ったようだ。「粒子を紙にどう吸い込ませ‐どこまで洗い流すか、そのバランスが表情を微妙に左右する」と伊砂はいう。

 作業場を訪ねた日、今秋の新匠工芸会展に出品する大作の制作が進んでいた。 初めて文字に挑んだ型絵染で、若き日に、自分の作品を見た人から贈られた短い詩がモチーフとなっている。

 足をふみいれた
 すぱらしい
 世界だ
 生きてよし
 死んでよし

 現在の心境が託されたこの詩には‐新匠工芸会のトップとして会に活を入れる意図もあるという。 ここ数年は闘病生活が続くが、創作への真摯(しんし)な気構えは、まだまだ健在であるようだ。 (山中英之)


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